建築物探訪ブログ

旅行先で訪れた著名な建築物を紹介するブログです。

塩釜市杉村惇美術館/塩釜市公民館本町分室

宮城県塩釜市仙台市から北東に約10キロ程度の場所に位置し、塩釜湾よりさらに奥まった塩釜湾に面する町です。塩釜は湾に沿ってガントリークレーンが立ち並び、市場や工場、港湾施設がひしめく、これぞ港町といった様相。また、起伏が多い地形でもあり、町を登ったり降りたりのの繰り返しです。内陸の盆地育ちの私にはこの光景は何時ても新鮮さを持って私の眼に映るのです。

 

塩釜駅から塩釜港までの間、港町を見下ろす丘の上を通り、港へと下る道すがらに美術館は位置しています。

小学校の脇を通る道を進み、曲がり道のすぐ先には赤いアーチの屋根を持つ建物が見えてきます。

 

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そこは昭和25年建築の塩釜市公民館本町分室として使用されていた建物を改修して、その一部を塩釜に所縁のある画家、杉村惇の作品を展示する美術館となっています。

 

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建物の1階では公民館機能を担い、2階では美術館として使われています。正面建物では1階の壁に凝灰岩(この地で採れる塩釜石を使用しています)を使用し、玄関には車寄せが附けられ、シンプルな外観に格式を与えているように感じます。

また、縦に二つ並べられた窓によってどこか縦長なプロポーションとなっています。

 

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玄関ホールの天井周りの仕上げなど、全体的に落ち着いた瀟洒な様子です。館内のしつらえはお色直し程度でほとんど建築当初の姿を残しているそうです。鋲打ちの開き戸が時代を感じさせます。

 

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館内の1室はサロンとして使われており、格天井による仕上げがまた他の部屋とは違った印象です。

 

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塩釜市公民館本町分室の特筆すべき空間に大講堂があります。こちらの大講堂は公民館の本館の昭和25年の竣工から遅れて昭和32年に竣工します。高さ9.7メートルのカテナリー曲線のアーチによる大空間の美しさには目を見張るものがあります。驚くべき点はこのアーチが木造によるものだということ、木骨編版構造、要するに集成材によってこの空間はつくられているのです。

また、大講堂は2人の地元の大工によってつくられたというのだから驚くべきことです。(アーチを地面で組み立てそれを引き起こして建築したとのこと)

 

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木骨編版構造。構造体は被覆されている。


講堂内は残響時間が非常に長く、講演会などには少し不向きであるが、楽器の演奏には非常に適しているとのことで、私が訪れたちょうど前日、ピアニストによるコンサートを行っていたとのことでした。以前もオペラを公演したりと様々な試みがなされています。(その時には純白の天井に映像を投影するといった斬新な表現を取られたそうです)

 

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この大講堂は、東日本大震災地震による被害を受けなかったようです。木造を用いた大空間、大地震にも耐えうるものとするために用いられたカテナリー曲線は機能性と美しいプロポーションを持って私たちの前に現れています。60年が経過した今もその姿は色褪せることはないのでした。

 

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今回はこちらの館長さんがご丁寧に建物について教えてくださいました。館長さんのお話は人々の活動に溢れる建物の姿がありありと眼に浮かぶようでした。

 

菅野美術館

宮城県塩釜市東北本線塩釜駅を降り、目的の菅野美術館へと向かいます。坂を登り、住宅街を抜けるのですが、あまりに感性な住宅街、この先に本当に美術館があるのかと不安になりますが、駅から歩くこと十数分、町を見下ろす傾斜地に建つ菅野美術館にたどり着きます。

 

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私たちを迎え入れるのは、茶褐色のコールテン鋼によって覆われたブロック、表面にはエンボス加工によって模様が作り出されています。三角形や縦長の平行四辺形の窓、雨樋や入り口の雨樋と非常に抽象的な形態となっています。

 

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駐車場奥の階段を上った先が美術館の入れ口となっております。ちょうどここから、ブロックがナイフで切り取られたように窓が開けられています。

 

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菅野美術館は宮城県出身の建築家、阿部仁史氏による設計です。ロダンの彫刻など8つの彫刻を展示するために計画されました。通常の展示空間のような様々な企画、展示に対応できるホワイトキューブのような空間ではなく、作品との相乗効果が期待される、建築空間自体が展示そのものとなる、そのようにデザインされました。

 

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館内に入ると外観の茶褐色の姿から一転、真っ白な空間へと変転します。内部でもこのエンボス加工が施された凹凸の鉄板が使用され、エンボス加工の突起物同士を合わせて厚さ3.2mmの鉄板を接合させたサンドイッチパネルで床や壁を構成しています。設計者の阿部氏によると「薄い鉄板でつくられたそれぞれのセルが集合することにより、互いに支え合って全体を構成するスチール製のシャボン玉の集合のような構造」と述べています。

 

展示空間はスキップフロアとなっており、階下に向けて螺旋を描くように進みます。その中で壁は種々の多角形の形となりながら、我々に覆いかぶさるように、斜面を形成するように斜めの壁面として取り囲み、空間の一部が切り取られ、さらに奥の空間へと我々を誘います。なるほど三角形や縦長の平行四辺形の窓はこの内部のシャボン玉を充填したような空間と呼応し、光を内部に導いているのだとわかります。

 

このエンボス加工されたパターンの反復はブロック玩具の接合部の凹凸を思い起こさせるようでしたが、一方何か巨大生物の体内に迷い込んで行く、そんな感覚がしたのでした。

町で見つけた建築 6

このビルは腰壁が溝入りのコンクリートとなっており、木の板を張ったような感じです。2階の腰壁の板を斜めに貼り付けたこの模様は、大分県庁舎に施された流政之氏による「恋矢車」という作品を彷彿とさせます。

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このビルはいつ頃建てられたものなのでしょう。脇の袖壁や屋根スラブの汚れ、窓のサッシや、入り口ポーチの屋根、駐車場のスロープなどよく観察してみるとそこそこ建てられてから時間が経過している様子。しかしどこか新しさを感じさせてくれる、そんなビルだと思い、写真に収めました。

 

 

 

町で見つけた建築 5

今回の建築は真っ黒です。黒一色。そこに大きさの異なる窓がポツポツと開けられています。

 

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2階以上の部分がキャンティレバーとなって前面にせり出しており、立方体のキューブが浮き上がっているような感覚。非常に閉じられている建築という印象で必要な箇所に必要な最小限の開口といったように感じます。

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開口のないまっさらな立方体に窓を穿つことで光を取り込み、空気を取り込み、人が生活をできうる空間とする、建築家の原広司氏は、「建築的行為は、閉じた空間を穿孔することにある」と述べています。「閉じた空間」に必要な開口を穿ち、必要な空間をつくる、この建物は原氏が述べるような初源的な建築プロセスによってつくられた空間のように感じられるのです。

横浜税関本関庁舎

横浜の赤レンガ倉庫や大さん橋周辺を歩いていると緑の帽子をかぶったような、緑青のドームを戴く塔屋が目に入ります。この建物は横浜税関本関庁舎、1934年の創建です。

 

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1873年、初代税関庁舎が建設され、関東大震災の復興事業により建設された現在の庁舎は三代目となっています。このひときわ目に付くこの塔屋は高さ51メートル、イスラム風の出で立ちです。その姿はイスラム建築のモスクの象徴的なミナレットのようです。

 

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横浜税関が建てられた1930年代頃は、吉田鉄郎による東京中央郵便局、山田守による東京逓信病院といった機能主義、合理主義を標榜する国際建築様式の建築が生み出されます。この動きは、この横浜税関のような様式建築にも影響を与えています。実際に翼を広げるような左右対称の平面計画は遵守されていますが、塔屋に一部の窓のアーチ、屋根の棟飾りといったワンポイントの装飾に留められ、従来のものに比べると保守的な様相です。

 

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ワンポイントの装飾に話を移しますが、イスラム風とあって施される装飾も少々独特です。偶像崇拝が禁じられるイスラム教では、イスラム建築においても人間や動物の彫刻を用いた装飾は固く禁じられていました。そのため、幾何学、抽象的形態の模様が装飾として用いられたのでした。

 

税関に用いられる棟飾りは棕櫚の葉を抽象化した模様を用いています。

 

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窓枠のオーダーは、柱身がねじり柱となっており、少々ジャコビアン様式を彷彿とさせます。

 

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この建物は改修を加えながらも大部分の外観を当時のままとしつつ、保存されており、1階では横浜税関資料展示室として一般開放されています。

町で見つけた建築 4

街角に建つこのビルが目に留まり、写真をパシャリ。

 

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建てられてからだいぶ経ってそうなビルですが、壁の小口タイルや大きなサッシ、横に並ぶ水平窓と当時は非常にモダンな姿だったでしょう。現在でもテナントがいくつか入っており、現役バリバリといった様子です。また、窓のサッシががっちりとしたアルミサッシではなくて当時のままなのが、線が細く全体とよくなじんでいると思います。

 

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この道路筋には以前、路面電車が走っていましたが廃線となり、周囲の建物も取り壊されるなどして街の姿は大きく変わりました。その中でこのビルはここに今も立ち続け、昔日の街の俤を私たちに伝えているです。

町で見つけた建築 3

稲荷神社の鎮守の森の脇を通り、斎場もある閑静なエリア、一棟のビルが目に留まります。窓の隅角部は曲線を描き、凹凸に合わせて滑らかな曲面とする壁はどこかのっぺりとした印象を与えます。

 

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ここまでは少し風変わりなビルといった感じですが、私の目を引いたのは一階の柱の存在でした。このビルを左右対称なものにしよう健気に寄り添う三階、二階を反古にするかのようなその柱。コンクリート洗い出しのような表面、中心軸をずらす操作は三階、二階からの離反、対立関係を生み出しているかのよう…と後からならなんとでも言うことはできるのですが、おそらく、テナントや車の乗り入れのためのスペースの確保のために柱がずらされて配置されたのだと思われます。