建築物探訪ブログ

旅行先で訪れた著名な建築物を紹介するブログです。

町で見つけた建築 2

今回目に留まった建築は前回と同じ銀行建築。現在も引き続き、秋田銀行の支店として利用されています。

 

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これもまた同じく柱と梁で構成され、装飾のないシンプルな形状。雰囲気もとても似ています。詳しい建築年代はわかりませんが、当時、銀行建築ではこのデザインが流行っていたのでしょうか?

 

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平面はおそらく正方形。ちょっときっちりしすぎだろ…と感じてしまいますが、まぁ、それも銀行らしくて良いと思います。やはり雰囲気を他と異にするのはその階高の高さ。二階の高さと隣のビルの三階の高さはあまり高さがないくらいです。屋根の分厚さも全体を重厚な印象にさせている要因に思われます。これが薄い屋根スラブになると印象は大きく変わるでしょうね。

 

正面ファサードと側面は全く同じに見えて少し違います。梁や窓が少しセットバックし、ちょっとした軒下空間ができているのです。また、柱と梁の縁取りされ長に境がはっきりし、立体感が感じられます。

町で見つけた建築 1

町を歩いていると、不図目に留まった建物。かなり古めかしい建物ですが、ただの古い建物とは違った様子。近くの警備員の方にこの建物について伺ってみると、以前は隣の銀行の旧店であり、築60年以上前の建築とのこと。現在は市の職業相談室として利用しているそうです。

 

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「かなり古いものだけど、確かに立派なものだよねえ」と警備員さんは言います。

 

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正面ファサードは柱と梁によって構成され、装飾もほとんど排された簡素な姿。厳格な左右対称性、装飾を一切見に纏わない姿は、まさに質実剛健、生真面目でどこか取っ付きにくさも感じられます。しかし、その地に足のついた様子は、私はその町の金融の機能を持つ銀行であると私たちに自己紹介しているようにも感じられるのです。

 

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現在は銀行の支店、マンションが立ち並び、その姿はあまり目立たないものになっています。60年前、木造の町屋建築がまだたくさんあった時代では、どのような姿だったのでしょう。その当時の姿を頭に思い浮かべつつ警備員の方にお礼を述べ、その場を去るのでした。

 

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桃華楽堂

以前、皇居内を軽く見る機会があり、ふと不思議な建物を見つけ、軽く外観を撮影。

 

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外壁には淡い色のモザイク陶片が散りばめられ、空でしょうか、雲や太陽が表現され、空を貫く塔の様な白い陶片で彩られた模様が象られています。また、外へとその体を伸ばしていく花弁の様な屋根も印象的です。

 

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この建物は、桃華楽堂、香淳皇后の御還暦を記念して建てられています。実際に、屋根のデザインはテッセンの花弁を象っているそうです。設計は今井兼次氏、聖フィリッポ西坂教会、長崎日本二十六聖人記念館を設計し、日本にアントニオ・ガウディを紹介した人物です。モザイク陶片を使用した表現、テッセンの花といった実際の自然をデザインに反映するといった手法は、ガウディに強く影響を受けた彼が行なったというのは非常に納得がいきます。

 

桃華楽堂は八角形の平面形をしており、それぞれの壁面には、日月星、松竹梅、楽の音などテーマに合わせたイメージが表現されています。白い陶片によって表現されていたのは白鳥の形象です。(当初は鶴としていたのが、この建物は香淳皇后に向けたもの、鶴は皇太子の象徴であり、採用し難いとのことで以後、白鳥としたとのこと)

 

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左から、松竹梅、楽の音、雪月花

桃華楽堂の外壁には香淳皇后にゆかりのある歌碑が5首配されています。「皇后のお誕生月を讃えるもの、ご長寿を寿ぎ奉るものを選び、御還暦を記念する音楽堂の造形に一段と生命感を寄せたい」と設計者の今井氏は述べています。これらの歌に加え、大伴家持の一首、「はるのそのくれなゐにほふももの花 したてるみちにいてたつをとめて」を添えており、香淳皇后の御雅号「桃苑」が歌言葉の中に含まれていることから選んだとのこと。

東京国立近代美術館~古きを支える~

東京メトロ東西線竹橋駅を下車後、北桔橋門方面へ進み、左手に皇居の緑や石垣を眺めながら、緩やかな坂道を登ると目的地、東京国立近代美術館となります。

 

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東京国立近代美術館は、裏手には首都高の高架橋が通っていますが、前面には皇居が広がり、雑多な環境ながらお濠に石垣と豊かな景観を有しています。1969年、ブリジストン創業者の石橋正二氏の寄付によって建築された美術館で設計は谷口吉郎氏となっています。

 

美術館入口の前面にはちょっとした広場となっており、谷口吉郎氏は「街角の小公園」と呼んで、都市へと解放された空間となっています。(訪れた時は企画展、「窓展」が開催されており、建築家、藤本壮介氏の作品が展示されいました。)また、敷地が傾斜地ということがあり、この前面広場も高低差を利用し2層となっており、2層目には、イサム・ノグチ氏による彫刻や皇居を臨むレストランがあり、美術館の利用者以外にもその恵まれた地勢を持つ空間を体感できる構造を有しています。

 

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美術館のファサードは、柱によって建物を持ち上げるピロティとその柱によってつくられる列柱空間が特徴的となっています。3階より上層階は柱によって持ち上げられ、2階はデッキとなっており、上層階を受け止める受け皿のように感じられます。

 

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エントランスは列柱空間に加え、船の竜骨のようなゆったりとしたアーチを持つ連続した梁が空間を強く印象付けます。 梁の連続したアーチは視覚的にリズムを与えます。

 

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東京国立近代美術館は2002年坂倉建築研究所の設計で改修工事が行われました。下の写真、建物の外側に取り付く部分、新築棟が裏手に回り込むように、「L字型」に建築されています。これにより、既存のファサードに影響をあまり及ぼすことなく改修が行われました。

 

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また、改修工事を行うにあたり、この建物を現行の耐震基準に合わせる必要がありました。このようなピロティを持つ建物は柱がやはり弱点となります。そこに補強としてブレースや補強壁、柱に鉄板などを巻くとなるとファサードのデザインに大きな影響を与える必要があります。この問題に同様のピロティを持つ国立西洋美術館では免震構造を採用することによって問題を解決しています。しかし、東京国立近代美術館は、すぐ裏手には首都高の高架橋が迫り、工期も限られているといったことから、免震構造の採用は見送りとなります。そこで、「L字型」の新築棟と既存の建物を一体構造とすることで新築棟が地震力の70%を負担するといった形によって解決しています。

 

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しかし、この補強によって、スキップフロアによる展示室という特徴的な空間構成は鋼鉄により補強された床スラブをかける形式への変更が余儀なくされました。やはり、この変更は苦渋の決断だったようです。

 

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愛知県立芸術大学

柱によって持ち上げられ、飛行艇のような水平に伸びたフォルムでその建物は丘陵地の上で木立から身を乗り出すように建っている…一度見たその写真が忘れられず、なんとか時間をつくって目的の場所へ。

 

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そこは愛知県立芸術大学名古屋市の東、長久手市の丘陵地に建設されています。

設計は吉村順三、竣工は1971年と間も無く50年が経とうとしています。

 

リニモと呼ばれる乗り物に乗り、芸大前駅で下車、芸大に向かう導入路を登っていくと、浮かんだような、のびやかな建物が見えてきます。この建物は、講義棟で愛知県立芸術大学のランドマークとして、強く印象付けてきます。妻の壁画は片岡球子氏によって描かれたもので、その豪快な画風は端正な講義棟の姿と相まって強烈な印象を与えます。

 

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この講義棟は、110メートルの長い建物であり、1階はピロティ、2階は廊下に付属室、そしてPSコンクリート竪型ルーバーに覆われた3階が講義室となっています。廊下が講義室にぶら下がる形になるため、片廊下型の教室のように教室を出ると廊下がある、という風ではなく、階段を介することになり、講義室と廊下の間にワンクッション、新たな空間が発生します。ここでは、先生と生徒との接触の場になることが期待されています。

 

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このキャンパスでは、講義棟、美術学部棟、音楽学部棟などそれぞれの機能を持つ建物を分棟させて配置しています。その配置もその土地の丘陵地という特徴に対処し、等高線に沿って建物を巧みに、無理のないように行われています。

 

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大学本部

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図書館

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学生ホール


また、110メートルの線状の長い講義棟は、キャンパスの軸線を強く描き出します。その軸線に直交する美術学部棟、音楽学部棟を結ぶ渡り廊下の軸線がぶつかり、その中間地帯の中央広場の南側には図書館や学生ホールなどが配置されています。まずこのキャンパス内に入ると中央広場の様子を伺え、中央広場からは対面する美術学部棟、音楽学部棟をうかがえるという明確な構図となっており、人の動きや自らの位置を容易に把握することができます。講義棟は、軸線を描くことでこのキャンパスの骨格をなし、建物に、そして我々に秩序が与えられるように感じられるのです。

 

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中央広場から東、奏楽堂を眺める

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中央広場から東、渡り廊下を通して音楽学部棟を眺める

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展示棟

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自然のままではなく、かといって自然の姿を隠すほどの建築があるというわけでもなくといった微妙なデザインによって自然と同化した素晴らしい景観が出来上がっており、吉村氏の自然への対応力の高さが感じられます。

 

三井物産横浜支店~日本最初の全鉄筋コンクリート造の事務所建築~

 横浜公園から埠頭への日本大通りは、大都会のでありながら、落ち着いた、ゆったりとした時間が流れています。横浜地方裁判所日本銀行横浜支店とが建ち並ぶ中、銀杏並木の中にひっそりと姿を隠しているのが、三井物産横浜支店です。

 

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シンプルながら、どこか西洋風の風合いを持つこのビル、実は、日本で最初となる本格的な善鉄筋コンクリート造の事務所建築なのです。竣工年は1911年、遠藤於菟(おと)によって設計されました。遠藤於菟は日本の鉄筋コンクリートの先駆者の一人でした。

 

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1905年に於菟は独立し、自宅に事務所を構え、同年に処女作となる横浜銀行集会所が建てられます。この建物は於菟が鉄筋コンクリートを一部で実験的に使用した最初の建物となり、その後、三井物産横浜支店において、構造に鉄筋コンクリートの技術を用いた全鉄筋コンクリート造の建築が竣工します。

 

三井物産横浜支店の1番の特徴はそのシンプルな外観にあります。矩形の窓にその窓に挟まるようにして外壁に現れる柱、構造的、機能的な役割を果たす部位が直截建物の外形として現れているのです。

 

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西洋建築では、産業革命によって鉄骨などが構造に用いられるようになった時、構造体の設計は技師の仕事、その外側の装飾を施すのが建築家の仕事というように構造と装飾を分け、二元的に設計を行うという建築観を有していました。また、於菟の過去作、横浜銀行集会所では、構造と表面装飾は肌別れしたものとなっていました。

その後の近代モダニズム建築ではコンクリートの技術により、建築は表面装飾を脱ぎ去り、構造体が彫刻的な造形美を有するようになります。三井物産横浜支店はまだその段階へは届いていませんが、表面装飾を脱ぎ去り、メタモルフォーシスを遂げようとする瞬間であると言えます。

 

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デザイン的な特徴に、柱は1階から4階までを貫き、庇が周囲にせり出す、軒下の小壁(エンタブラチュア)をも貫き、軒にまで達しています。玄関周りや腰壁など装飾はありませんが、全体がルネッサンス的にまとめ上げられているのが特徴的です。於菟の研究者である堀勇良氏は「遠藤式ルネッサンス」と呼んでいます。

 

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現在、この建物は1階がギャラリー、そのほかは事務所として、実際に現役で使われています。日本最古の鉄筋コンクリート造の建築が今でもフルに使われていれ、今も変わらずそこに立ち続ける、それは於菟の技術力の高さ、利用する人々の意識の高さが建物を強固なものにしているのだと感じています。

 

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パレスサイドビル ~オフィスビルの嚆矢~

東京メトロ東西線を降り、地上へ出ようとするとプレキャストコンクリートパネルの白い円筒がそびえ立ちます。

 

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今回の目的地はこのパレスサイドビル

設計は日建設計、竣工は1966年とすでに築50年が経過しています。

地上9階、地下6階、毎日新聞社をはじめとする三社の出社によって計画されました。

 

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皇居の濠に面するこのビルは、高さ50メートルの2つの円筒コア、長さ200メートルのビルからなっています。この円筒コアにはエレベーター等縦動線機能が集約されており、この2つのコアをつなぐビル内部の水平動線というように機能的にも視覚的にも単純明快に秩序立てられています。

 

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このビルに入ってまず最初に気づくことが、地表のグラウンドレベルと1階のレベルが異なることです。下の写真は建物正面のエントランスとなるのですが、中央には上へ登る大階段、両脇には降る階段となっています。

 

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このビルが建つ東京都は火山灰の堆積による地盤で岩石による強固な地盤は20メートル掘り下げた部分となります。建物を支える地盤は地表土ではなく、地下20メートルの地盤に据えられるということです。さらに将来、周辺のさらなる開発により、高架道路によるアプローチなどによって空中から人員、物資、エネルギーが移動することになると地表はあまり意味をなさないものとなる、そこから、建物は地下から立ち上がるものとして考え、地表との間に空濠を設けて建物と絶縁し、1階床を高くあげて地下1階を地表と大差ないようにした、と設計者の一人、林昌二は述べています。そのため、アプローチのできる出入り口は限られて来るため、建物内のコンコースの独立性が高まるように感じられます。

 

建物の外側を見るとルーバーの役割を果たす金物が見られます。この方立取付金物や方立や楣には全て市販品の鋼材が用いられているとのことです。鉄骨メーカーがそのまま躯体に取り付けを行えるようなディティールの設計。細部にはこだわらない荒さを感じますが、それをビル全体でまとめあげるとなると話は変わり、視覚的には精巧さを感じさせます。

 

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漏斗型の部材は雨樋。独特な姿は外観を印象付けます。

 

正面エントランスは壁や床には大理石し、滑らかに削り出された手すりが印象的です。

西玄関のエントランスはからかさ状の庇となっています。

 

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中に入ってみるとコンコースがあり、両脇には飲食店が連なります。1階と地下1階は吹き抜けによって繋がり、幅自体も余裕を持って設計されており、非常に落ち着いた雰囲気。また、両階をつなぐ階段は彫刻的繊細さを持ち、場を引き締めます。「夢の階段」と呼ばれるこの階段は、ネット状に組んだステンレス線の交点で段板を支えているとのこと。

 

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建物の両端には設備シャフトが取り付きます。外壁は茶褐色の煉瓦となっており、その数は約60万個。アルミニウムルーバーとの対比が重厚と精緻の感覚を与えます。

 

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築50年を超えても色あせることなくそこに立ち続けるパレスサイドビル 。これからもそこに立ち続け、目まぐるしく変わり続ける東京の町を見守り続けることを願っています。

 

受賞等

『日本の近代建築20選』選定

『BELCA賞ロングライフビル部門』

『空調衛生工学会賞』

『DOCOMOMO Japan 日本におけるモダン・ムーブメントの建築』など