建築物探訪ブログ

旅行先で訪れた著名な建築物を紹介するブログです。

鶴舞公園

名古屋を訪れた折、前回の名古屋市公会堂に引き続き、鶴舞公園を見て回りました。

 

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この日は快晴、穏やかな陽気でこれほど歩くのが気持ちの良い日はなかなかありません。自然と足取りも軽くなります。公園を歩いていると楽器を演奏する音が聞こえてきたり、ベンチで談笑する声が聞こえてきたり、芝生の上で大勢の人がのんびりしたり、思い思いに過ごしている姿が見られます。賑やかでありながらもどこか落ち着いた雰囲気が感じ取れる、とても心地良い場所でした。

 

さて、看板には鶴舞公園110周年の文字が。

 

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明治43年(1910)、開府300年に当たるこの年、第十回関西府県連合共進会が名古屋で開催されることになり、大公園を計画していたこの地が会場用地に選定され、鶴舞公園の誕生に至ったのでした。

 

詳しい経緯としては、明治6年太政官布達によって公園制度が設けられ、公園を求める市民の声もありましたが、実現にはこぎつけず…その中、第十回関西府県連合共進会の開催地の選定、精進川(新堀川)の改良工事により発生した浚渫土砂の持ち込み先の検討、といったきっかけが重なり、田園地帯を埋め立てて、公園を作ったということです。

 

この公園の特色は近世フランス式の洋風庭園、日本庭園と和洋折衷の庭園となっており、公園の全体計画は、本多静六林学博士、鈴木禎次工学士によって設計されました。

 

話を建築に持っていくと、公園の噴水塔、奏楽堂は鈴木禎次の設計となっています。

 

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噴水塔は、8本の柱に支えられ、さらにその上に杯のようなオブジェが立ち、最上部の円形から8方向に樋を出し、水を流すといった構造になっています。このルネッサンス風の噴水塔の柱にはオーダーと呼ばれる規則があります。その規則によって全体の寸法が柱の直径寸法と関連付けられたり、柱身への溝彫りや柱頭への装飾などが施されたりします。しかし、この噴水塔の柱の柱身はのっぺりしていて、柱の上には饅頭を潰したような形の石、方形の石は入れられ、非常に簡素な見た目となっています。その上の列(この列のことをフリーズと呼びます)には溝の掘られた板と、何も描かれていない面が交互に並んでおり、これらをそれぞれ、トリグリュプスとメトパと呼びます。(これらの呼称については多々あり、本文では「ウィトルーウィウス建築書 森田慶一訳注」を参照しています)

 

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この噴水塔を見たときに思い浮かんだのは、イタリア、ローマのサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会に建つドナド・ブラマンテによるテンピエットです。噴水塔は、柱や杯状のオブジェが与えるほっそりとした感じによって非常に繊細な印象を受け、テンピエットのような力強さはないのですが、柱やフリーズの姿は非常に近しいものを感じます。

 

今回は、公園の成り立ちの説明も含め、かなり長くなってしまった為、奏楽堂の説明は次回に持ち越そうと思います。