建築物探訪ブログ

旅行先で訪れた著名な建築物を紹介するブログです。

東京中央郵便局 ~日本美を体現するモダニズム建築~

東京駅の丸の内口、辰野金吾による赤煉瓦の駅舎を出て南側に進むと、聳え立つJPタワーに前掛けのように建つのが今回紹介する東京中央郵便局です。

 

東京中央郵便局は地上5階、地下1階で1931年に竣工しました。現在、当初の建物は外観部分が残り、高さ200メートルのJPタワーに胴巻きのように廻らされています。

 

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まず最初にこの建築の特徴からいきましょう。

 

設計者は吉田鉄郎。1895年に富山県で生まれ、旧東京帝国大学を卒業後、逓信省(旧郵政省の前身、現総務省)に入省し多くの建築物を残します。この逓信省は、郵便事業にとどまらず電話といった通信事業も手掛け、明治19年(1886)には省内に建築部門が設けられます。その中で濃尾地震関東大震災による施設の損壊により、煉瓦造りの建物はコンクリート造りに置き換えられ、岩本禄、山田守による表現主義的な建築日本の建築界をリードする先進的な建築を生み出していきます。そして、吉田鉄郎もこの動きの中心人物でした。

 

東京中央郵便局の前身となる建物は関東大震災によって消失し、震災復興としてこの局舎が建築されたのでした。これまでのギリシャ風、ゴシック風、ルネサンス風といった様式主義から脱却し、西洋から導入された鉄筋コンクリートを使用し、機能、日本的な表現を一体とした建築として高く評価されました。

 

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柱、梁、庇で構成され、柱と梁で囲まれた部分は開口となるといったことは日本の木造建築物と同様であると言えます。

 

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柱と梁で囲まれた開口部も装飾がなく、直線によって構成され、非常にシンプルです。また、敷地の形状に合わせた緩やかな曲線、開口部での対称性とその集積による全体の構成、そして全体においての対称性の維持と緻密な計画がなされています。

 

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内部から保存部分を見ることもできます。

 

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さて、話は変わってこの建物が現在の姿に変わった経緯についてです。日本郵政側は初め、この建物を取り壊し、建て替え工事を行うとの計画でしたが、鳩山邦夫総務相が日本のモダニズム建築の重要例であり、重要文化財級のこの歴史的価値を「トキ」に例えて待ったをかけました。その後、日本郵政側は駅前広場側の2割程度を残す計画としていましたが、鳩山総務相の「トキを焼き鳥にするのか」との言葉から計画は見直しに。鳩山総務相は「重要文化財のまま建て替えができればいいが、難しいならトキの剥製が残る形で再開発をしてもらいたい」とのことから、現在の保存割合は3割程度のなっています。

 

全体保存をするとする場合にその土地において容積率を他の土地に売却するという手法がありますが、東京駅前の超一等地の容積率を他に売却するとその価値が値引きされる可能性があり、一時的な利益より、長期的な収益を望む、と郵政側は述べています。

 

吉田鉄郎の作品には、大阪中央郵便局もありますが、こちらは再開発によってもう解体されてしまいました。これらのケースは場所が場所ということもあり、様々な状況を鑑みると全体保存が難しいということもあります。時代の変化とともに姿を変えるもの、その変化に適応できず消えていくもの、やはり致し方ないのだと思います。しかし、それらの存在は連綿と続いてきた私たちの歴史の1ピースなのです。建築に関わる財は建物だけではなく、写真や設計図、建築時に関わる文書などがあります。それらを記録、保存し、多くの人々に公開し、活用していく、建築の記憶をこの場所に建っていたという証を後世に伝えていく義務があると感じています。

 

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