福島県教育会館 ~地域に根ざす技術と造形~
福島駅に降り立ち、東へ歩みを進めること30分程度、目的の建物が悠々と流れる全国有数の大河、阿武隈川のほとりに建っています。
福島県教育会館は、626人収容の大ホールに会議室、ギャラリーを併せ持つ多目的施設です。平らな屋根に水平連続窓の棟には会議室にギャラリー、波打った屋根が特徴的な棟には、大ホールが内蔵されています。実はこの建物、竣工が1956年と結構高齢な建物なのです。
設計は、東京文化会館を設計した前川國男のメンバーであった大高正人、鬼頭梓、木村俊彦らが結集したミド同人によって設計されました。
この波打つ屋根は1956年当時にしては、デザインされた、かなり贅を尽くした先進的な建築に映るかもしれません。しかし、そのようなことはなかったのです。
当時の福島市には、平土間で木造平屋の公会堂がある程度で普段は閑散とし、市民からも置き去りにされ、音楽会は小学校の講堂で催し、演劇は市内の映画館で行うといった状況でした。
その中で福島県教育会館は県教員組合の主だった5、60名ほどの教員からなる県教育会館建設委員会によって計画されましたが、建築資金は毎月100円ずつ積み立てた拠金を中心に県や市による補助金や寄付金となっていました。(大卒初任給は当時1万円ほど)そのため、当初は東方地方でありながらも暖房設備の割愛による最大限の客席の確保や建築の仕上げを簡素にすることによって費用の削減を行ったということでした。
また、大ホール、オーディトリウムのこの波打つ屋根は機能性と経済性を重視した結果に生み出された形態だったのです。屋根のコンクリートによるシェル構造を選択した経緯はとしては、舞台上に十分な高さを確保する必要があったこと、客席部分天井裏に舞台用照明、照明用通路の設置が必要であったこと、十分な遮音性能を確保する必要と鉄骨のトラスではコンクリートの殻をかぶるよりもはるかに不経済であったことがありました。
オーディトリウムの板が折れ曲がったようなこの形は折板構造と呼ばれるもので、平板に折れ角を持たせることで板面で荷重を受け持つという構造で紙を折ることによって強度を高めるというものと同様の原理です。またこの折板構造はシャイベとも呼ばれます。
外部仕上げはコンクリート打放しにコンクリート防水セメントペイント仕上げに手すりはプレキャストコンクリートブロックに鉄パイプと非常に簡易なものとなっています。コンクリート打ちっ放しの型枠には単価を下げるということでバラ板を用いたということで型枠の模様が残る荒々しい仕上がりに。進歩的な教員たちによって計画され、運営されるこの施設は半封建的社会の影が未だ残る当時の福島の街に新たな公共施設の姿を映し出し、荒々しい仕上がりの頑丈な建物は労働組合の大会など市民の激しい気運の高まり行動の呼応し、惑わずにその場を提供することになるでしょう。
設計者の一人、大高正人はメタボリズム・グループのメンバーでした。メタボリズムとは、新陳代謝という生物学用語。建築物の古くなった部分を取り替えたりと経年とともに変容していく有機的な建築を唱えました。
福島県教育会館では、現在1階ロビーには多くの事務所が巡らすように設置されていますが、当初はこれらは全くありませんでした。時代の変化、必要に応じて増築がなされ、新たな機能が付与される、まさに大高正人が標榜した理論を体現した建築の姿ではないでしょうか。
設計:ミド同人(大高正人、鬼頭梓、木村俊彦、大沢三郎、足立光章他)